あたしゃ運がいい

 病気の経験者は、みんな「いい医者をみつけないといけない。相性も大事です」と口をそろえます。
 あたしもそう思います。

 だけど相性には実にいろんなものが介在します。病気の重さや難しさもからんでくるでしょう。
 ”いい医療”というものの総体は複雑です。

 【診断がつく】の項で述べたようなことを考えると、あたしは自分の運のよさに感謝せずにはいられません

 良くぞセカンドオピニオンを取りに行く”ヒマ”があり(仕事がヒマって、うまく行ってないってことだけどもさ)、専門家を紹介してくれる友人が身近におり、その専門家がこんな立派な施設の病院にいてくれていたものです。

 謙虚で勉強をしているいいお医者さんにあたったとしても、その病院にある超音波の機械が古いってことだってあるだろう。

 そんなにほいほい新しい機械が買える病院ばかりじゃないだろう。

 一緒にチームを組んでいる病理検査のスタッフの力が不十分、ってことだってあるかも。

 MRIがいろんな病院に普及し始めた頃、「機械があっても画像を読める医者がいないんだってよ」と親戚の伯父さんが言っていたことなども思い出します。


 しこりがふたつだったのは運がわるいわけじゃないわ、とあたしは思いました。
 見つけてもらえてラッキーってやつよ

 家に帰る長い電車のなかで、あたしは決心しました。
「今後、ずっと自分の運のよさを信じよう」と。
あたしゃ運がいいんだから、大丈夫」と思うことにするんだ。

 根拠なんかなくっていいのよ。
 どうせこんなにわからないことだらけなんだから。

 知らなければ見えないし、わからなければ解釈することも不可能だけど、それでもその中で判断していくしかない

 これが古代なら、亀の甲羅かなんかを火にくべて占いして診断したかもしれないんだからさ。
 「この胸のごりごりはキツネが憑いているんです」とかいうことになったかもしれないんだから。

 そして古代におけるあたしは思うわけだ。
「ああ、いい占い師にあたってよかった。これからキツネに対処できる」と。

 ドクターごめんなさい。占いなんかと現代医療を一緒にするわけじゃないです。
 
 しかしあたしは根拠なく自分の運を信じることでしか、医学の進歩や限界や、納得のいくこといかないことのさまざまに対峙することはできないな、と思ったんです。

 というわけで、運のいい話、次回につづく。