3月6日にマンモグラフィを撮って来ました。
全摘の手術を受けたのが2006年2月ですから、もう1年経ってしまったことになるわけです。
この日は
●マンモグラフィを撮って、
●ドクターの診察を受けて、体調などの報告をして、
●ホルモン療法の薬(ノルバデックス)の4ヶ月分の処方箋をもらって(できたら少しでも安くなるよう、ジェネリック薬品にしてもらえないか相談して)
●次回(約4ヶ月後)の予約をして、
●窓口に忘れていた保険会社の請求のために診断書を請求して、
以上おしまい、というメニュー。
頭のメモリが1ビットぐらいの人なので(ビョーキをする前からそうですの)、電車の中で手帳に書いてこれに臨むのであります。
マンモを撮る前にけっこう廊下の椅子で待たされました。病院というのはホントによく待たされる場所です。
待たされている間に「20年前」に乳ガンを切って、サバイバーとして元気にやっている、というご婦人と少しおしゃべりをしました。
今は仕事も引退して、年に一度の検査に来るだけなのだとか。「もう”時効”なんですけどね」とおっしゃっていました。
なるほど、時効という言い方は実感がこもっています。(別に犯罪じゃないんだけど)
20年、再発がないってことは「もう大丈夫」(絶対じゃないにしろ)ってことになるもんね。
あたしはまだ1年なのよねー。 もう1年だけどまだ1年。
こういうことは相対的な時間軸の中にあるわけで。
だけどこういう人に会うと励まされます。
彼女はもう仕事も引退して、遠くに引っ越したのだけれど、検査をするときは電車に乗って聖路加に来るのだそうです。
20年前の担当医はもういないのだけれど、病院を信頼しているのでしょう。
「だけど、もし万が一、入院になったら高くてやってられない。先生に別の病院を紹介してもらわないと」などと言っていました。
20年前は古い病棟で、そんなに高価な差額ベッドの部屋はなかったのだそうです。
リンパを取っているので、切った側の手では今でもあまり重いものを持ったりできない、とか、その使っていない方の腕が、使っている健康な側よりも太い(リンパ浮腫があるからでしょう)などというお話を聞かせてくれました。
20年の月日が何でもこだわりなくしゃべれる気持ちにしてくれているのでしょうか。
それにしても、同じブレストセンターの患者であるってことだけで、短い間にこれだけのことが通じちゃうというのも、考えてみたら不思議なことです。
あの待合室に座っている人は、ほとんど全部、乳ガン(あるいは乳ガンの疑い)という経験を共通で持っているわけです。
その後出来上がったマンモの写真をもらって2階の診察室の前でまたしばらく待ち、先生と約4ヶ月ぶりの対面。
あたしは金髪になっちゃってるんだけど、先生は何も言わないので、あたしも「先生はなんかさらに痩せたみたい」とは言わないことにしました。
マンモはとりあえず異常なし。
あのご婦人の20分の1ですが、消化したわけです。
つづく。