再建にこだわるあたし16

●あとからわかること・先にわかること

 長々と再建に至るまでのことを書いてきましたが、今までのことを整理しておきます。

①まず左胸にガンがみつかり、手術をすることになりました。しこりも2センチぐらいで上側で、表面に近いので、問題なく温存の適応と思われました

ところがMRIをもっときちんと撮って見たらしこりは3つもあって、ひとつは奥にあることが判明。
ボリュームの4分の1を切り取るというかなり厳しい温存条件に・・・。

③医師に説得される形で温存手術を選択。傷あとも仕上がりも条件の厳しさから考えると”上出来”の類と思われました。しかし、病理検査により、切り口にまだがん細胞があることが判明。

④医師は追加切除でそのまま温存できると判断しましたが、あたしは色々と迷った末に同時再建を決意。(その葛藤が今までの【再建にこだわるあたし】1から15までのエントリーに書いてあるわけです)

⑤2度目の入院と手術で乳房を全部摘出。同時に再建のためのエキスパンダーを入れてもらいました。

⑥8ヶ月後、エキスパンダーをシリコンバッグに入れ替える日帰り手術を受けました。帰りはふらふらだったけど、一応日帰りできて、たいした負担ではありませんでした。(お財布以外は・・・とほほ)

 入院についての詳しい話などはまた項をあらためて書くとします。入院は入院でまた色々笑っちゃうような体験がありましたので。

 今は再建を決意したがために「結局今どういうことになっているか」って話。

 前にも書きましたが、切り取った乳房を精密な病理検査にかけた結果、結局乳房の下側にもがん細胞が広がっていることがわかったのです。 

 ドクターは言いました。「これは、温存では救えない胸だったね」と。
 つまり、全摘して正解!だったわけです。

 結果的にね。
 この「結果的に」ってところが肝心です。
 だって、全摘しなかったかもしれないんだから。
 
 あたしの中の”ノーテンキ部門”は、「やっぱあたしって運がいいなあ。全摘にしといてよかった」と思うわけですが、”理屈っぽい部門”では「これ、もしも温存してたらどうなったんだ?」と考えずにはいられないわけですよ。

 がん細胞は広がっていたわけですが、それはマンモグラフィにも写らないし、もちろんしこりにもなっていません。
 ですから、乳首側を追加切除して、その断端にがん細胞がなかったら、一応「取りきれた」ということになって、放射線治療に入っていたかもしれません。
 その後抗がん剤。これで、微細ながん細胞を叩くわけです。

 とすると、乳房の下側にあった”しこり未満”のがん細胞は、消えていたかもしれません
 本人も医者もその存在を知らないうちに消えるということです。

 で。それがまるっきり「なかったことになる」のかどうか。
 
 なる人もいるのかもしれません。
 こういう仮定の話は医者としたことがないので、わかりませんが。

 あるいは、一旦抗がん剤でたたけても、何年かしたら再発したかもしれません。かなり広い範囲に広がっていましたから。

 その場合、どうでしょう?
 
 また手術です。今度は全摘でしょう。
 前の時に放射線を当てられてますから、皮膚は硬くてシリコン再建のオプションは無し、です。
 それじゃというので最低2週間はかかると言われる自家組織の再建を受けることになったかしら?

 それとも「もう切るのは嫌!」という理由でおっぱいの形は諦めてしまったかしら?
 その時あたしは何歳になっているかしら?
 年齢とおっぱいの再建にこだわる気持ちはは関係ないけど、「大きな手術は嫌だよー」という気持ちには関係あると思います。

 もうひとつ可能性があります。
 追加切除を受けて、温存をしたけれど、再び切り口にガンが残っていた場合です。

 原則としてガンが取りきれていなかったら放射線は使わない、と言っていましたから、その後もう一回切ることになる・・・・。

 さしものあたしも、短期間に3回も切ったら気持ちがへこんでしまうんじゃないかな、と想像します。
 悩んだ末に温存を決意した結果がそれなんじゃなおさらですわ。

 だけどこれらはみんな、「あり得た」シナリオ。
 乳ガンを診断された人全部に起こりえることです。
 あたしはたまたまおっぱいの美容にぐだぐだこだわったために、偶然その事態を避けられたってだけのこと。
 
 ほんと、あらかじめわかってたらいいのに!
 切ってからわかること、切らないとわからないことのために、患者は気持ちも経済も体力も翻弄されるのです。

 そのうち医療技術が進んで、きっと切る前にわかることはもっと増えるでしょう。どこまで切れば安全か、きっちりわかって、追加切除って言葉がなくなる日が来るでしょう。

 その日が一日でも早く来ますように!