あたしが乳房再建に「こだわることにしようっと」と決めたいきさつについて、書くことにします。
それは、そもそも左胸にガンがあると告知され、それはまだ「2センチ程度の初期ガンである」し、「そのすぐ隣にある娘細胞も小さい」から、「当然温存手術が可能です」と言われた時点で始まりました。
「温存」という言葉の響きは、いかにもおだやかです。
悪いところだけ切り取って、あとは自分の胸のふくらみをそのまま残す、という、手術のテクニックは、「患者の満足度も高い」ということになっています。
手術は年々縮小傾向を強め、日本中の乳ガンを扱う病院のトレンドははっきりとそっちを向いています。できる限り残そう、と。
20年前だったら、乳ガンになったら、問答無用に筋肉まで根こそぎ切り取ってしまうハルステッド法という手術が主流でしたから、その点は本当に大きな違いです。
大胸筋を残しても生存率は変わらないことがわかって大胸筋は残されることがスタンダードになり、リンパ節に転移があるかないかをあらかじめ検査して、転移がなければリンパ節も残す、という風に医療は発達してきました。
その結果乳ガンの手術は、患者の全身に対する負担も減り、後遺症も大幅に減っているのです。
ですから、手術数に占める「温存率」が高い病院の方がいい病院だ、という評価の仕方もあるのです。またできるだけ形良く残す、その技術の高い病院を口コミで探そうとする患者もたくさんいます。
だけど、もしもその”悪いところ”ってのが大きかったら?
いくら腕が良くたって、乳房は大変な変形とともに残される、ということになってしまいます。
あたしが自覚していた「しこり」は、皮膚の表面に近かったので、当初あたしはその温存手術が、外科医にとってもかなり”易しい”ものであるのではないかと、言わば甘い見通しでいたわけです。
が、しかし。
手術の日取りが決まったあとの検査で、しこりはふたつではなく、実は全部で3つあることがわかったわけです。
このことは、以前のエントリーに書きました。
それまでの病院でMRIを撮った事があるかないかに関わらず、手術をする病院では、必ずもう一度MRIを撮る決まりになっているのだそうです。
そのMRIの映像に、3つ目の腫瘍は映っていました。
とても見えにくい場所に。つまりだいぶ奥に。
しかも他の二つと少し離れたところにありました。
MRI画像を見て診断を下すにも、技術の差があるときいた事がありますから、これを見つけてもらったこともやはり「ラッキー」ということなんでしょう。
だけど、あたしはその時、主治医が、ちょっと頭を抱えてコンピューターのディスプレイを覗き込んで、こうつぶやいたのを聞き逃しませんでした。
「かなりのボリュームを切らなくてはならない。これは温存の意味があるだろうか?」
”温存の意味”とは何でしょうか?
それは、乳房が乳房らしく、美容的に優れた形で残されることじゃないかしら?(実際はそれだけじゃありません。そのことは追い追い書きますが、その時あたしはそう思ったのです)
もしも無残な変形が確実にわかっているのなら、「美容的には再建したほうがマシ」という考え方があるはず。
じゃあ、そのボーダーラインはどこにあるのか?
「温存する意味」が、もしも美容的な問題のみにかかっており、乳ガン再発のリスクなどと全く関係がないと仮定したら、これはハナから”主観的”なことなんじゃないの?
ある人には耐えられる変形が、ある人には耐えられない、ということがおきるのじゃないのかしら?
あたしの疑問は膨らみました。
これは考えてみなくっちゃ。
つづく。