信頼とは覚悟すること

 検査結果を待つまでの間、あたしは友人の小児科医にくわしいメールを書き送っていました。検査結果についても、言われたことなどなるべく正確に書いて送りました

 その他も2、3、医学に携わるお知り合いに声をかけていましたが、一番”あてにして”いたのは、この友人です。

 あたしが彼に相談したのは、この人とのお付き合いが長くて、あたしの性格をよく知ってくれていることと、友人として立場が対等で、その人柄を心から信頼しているからです

 友人は、それを乳腺外科をしている仲間に転送してくれました。
 その仲間について、「彼が最新の知識を持っているはず」と言ってくれました。

 「じゃあその人にセカンドオピニオンをもらおう」と、あたしは決めていました。
 彼が言うんだから、間違いないだろう、ということです。


 あたしは思うんです。
 患者にとって、医療は基本的にブラックボックスだって。

 何をされるのか、わからないし、何がベストなのかもわかんない中で、他人に判断してもらったり治療してもらうしかない。

 だからこの時「信頼」という、ある種運命を丸なげにする覚悟が大切になります。
 
 「最新」とか「最先端」と言われたって、あたしにとっては、その中身なんかちんぷんかんぷんなわけです。
 新聞に載っている程度の情報すら、読むだけじゃ「よーくわかりました」ってわけにはいかないのが普通でしょう。

 インターネットでたとえ英文の医学論文をがんがん読んで武装したって、医学の基礎的な理解がないのなら、にわか知識でしかないはずです。

 告知を受けたのは去年のことで、その後切ったりなんだりをくぐっていますから、今はもうそれなりのことは”わかり”ますが、それだってバランスの取れた知識などではないのです

 患者は、ほとんどことがわからない
 わからないところから出発し、”少しわかるけどたいしてわかってないことには変わりはない”という辺りのところまで進むだけです。

 だって、専門家であるはずの医者でも、勉強不足で「なんか変」なことを言っている人がいくらでもいるんだから。

 よく頭のいい人が 病気について恐ろしい量の勉強をして、現代の医療の問題点をさまざま発見し、
自分の身は自分で守らなければならない
知らないというのは罪だ
などと述べています。

 それはあたしも全くその通りだとは思いますが。
 そして自分ももちろん”勉強”も”武装”もいたしますが
 それをどこまでやれば充分か、という判断だって、このお粗末な頭でやるしかないんですから、ホントに心もとないですわ。

 実際患者のうち何パーセントの人が、
●高速で本を読みまくったり(それも仕事の合間に)
●外国の最新の論文の語彙を記憶し(忘れないのがすごい)
●ドクターがたじたじするほどロジカルに質問を並べ
●その答えを分析し、
●自分で納得して治療法を”選び”
●リスクについては自ら理解して引き受ける

 ・・・・・・なーんてことができるのでしょう?

 乳ガンがかしこい人を選んでやってくる、というならいいですけどもね。ぶつぶつ。
 あたしなんか本を読んでるだけで1年経っちゃうよ。全く。