2006年7月 6日(木) くちきかない (るじ)
こどものときは、ひめさまほどとんでもない行動にはでなかったはず。が、めんどくさいこどもだったかもな。
1回、こいつは、きらいと思うとくちきかなくなったり。きらいスイッチがピキッと入る音がする瞬間がある。
はら?それは今でもそーかもー。
こわいかもーるじ。
こどものときは、ひめさまほどとんでもない行動にはでなかったはず。が、めんどくさいこどもだったかもな。
1回、こいつは、きらいと思うとくちきかなくなったり。きらいスイッチがピキッと入る音がする瞬間がある。
はら?それは今でもそーかもー。
こわいかもーるじ。
小学生のころ、どんな本やまんがを読んで、テレビをみていたかって、あんまりおぼえてない。なぜー?なんだか小学生のころはいそがしかったよーな気がするのー。
習い事で。
まず習字。2年ー5年ぐらい?まで ぜんぜんうまい字にならんかった。てかうまい字になってたら、イラストレーターな字ではなかった。から、うまくなってなくてよかったんだけど。
それでピアノ。3年生のとき11ヶ月。いやでいやでいやでー、どーしてもいやでー、なんにもみにつかずにやめた。
さらにそろばん。4年生ぐらいから、週3回。5年生から、毎日3時間が続いた。その割にたいした才能もなく。
その反動か、中学高校のころのほーが夢見る少女なるじでした。
高校受験のときは、クイズタイムショックをある日みてたら、うちから2時間ぐらい離れたところにあるデザイン系の学校の人でまんが家志望って人が出ててね。ここの高校に行きたいー思ったのね。でも、親も先生もなにゆーてんねーん。通えるわけないやんかー。で、却下。
高校から、就職かってときに、うちの高校の駅は、美大の人たちの乗り換え駅になってて、よく大きなキャンバスをかかえて歩いてる人をみかけたの。それで、いーなー、あの人たちみたいになりたいと思ったのねん。ちらっとゆってみたけど、なにゆーてんねーん。で、却下。
その後のるじは、なんかはじめよー、あっちへ行こー思ったら、相談しちゃいけないわ。決めた事を報告ってことにしないとどこにも行けないわ。と学びました。
こどものときの習いごとは、あんまり楽しくはなかったけど、おとなになってから、自分のお金で、行くのはすきじゃった。学校もなくて、会社にも行ってなくて、どこにも所属してないと、たまに、決まった時間、決まった場所にかよいたくなる。
古くは、君もイラストレーターになれーる塾みたいのとか、絵本講座とか、公民館のデッサン講座。あとは、美術館でよくやっているよーな石版画、銅版画、個人のお家でやってた羊毛のかたまりを糸にするやつ、やめるタイミングをなくしてダラダラかよってた陶芸。
どの先生も、ほーらこーやりますよと見本をみせてくれるのは、かんたんそーで、じっさいやってみるとむずかしく。先生の手って魔法の手だーと思いましたわ陶芸の先生なんてさ。
で、またまた、こども時代にひきもどされてー、ですがですが。
小学校1年生のときの、先生の顔も、名前もほとんど思い出せませんが、最初のころに、きらいなもの調べみたいのがあって。
ピーマンきらいなひとー?にんじんきらいなひとー?って手を上げさせられましてん。
なっとうきらいなひとー?のところで、るじ、手をあげましたら、クラスでひとり。
せんせー、顔近づけて(一番前の席だった)せまってきて、
せ 「どこがきらいなのー?」
る 「ねばねばしてるところ」
せ 「んまー、ねばねばしてるところがおいしーんじゃいーのー」
と、ゆー場面があっのをおぼえております。ばばーになってぼけるまで、この記憶は存在しそーなくらいに鮮明に。
当時は、きらいなもんは、きらいなのー。いーじゃん、ピーマンもにんじんも食べるし、牛乳も飲めるんだから。と、いいかえせませんでしたが。
でもって、今では、なっとう、けっこーすきです。てか、朝ごはんにらくちんなので、家族にいやがられつつしょっちゅー出てきます。
手術!といえば、るじ、したことあるのは、帝王切開だけでございます。だいたい手術って、全身麻酔でやるって思っておりましたが、帝王切開は、下半身麻酔なのです。人によって、そのときの状態によっては、全身麻酔もあるよーですが。
で、るじは、下半身麻酔。おなか開かれているときに、意識があったのね。体は動かせないんだけど。胸のあたりにみどりの布で高くしたのをのせられて、切られている様子は、見えないよーになってるんだけど。せんせーたちの話は、みーんな聞こえてしまったのね。
なんの話をしてたかって、まず、執刀のせんせー。総合病院だったので、普段の診察してくれてたせんせーと、出産のときに立ち会ってくれるせんせーは、その日の担当とかあるから、いっしょとは限らず。前もっての手術だと、ちゃんと予定を入れられたんだけど、るじのときは、緊急手術ってことだったから、それでも、たまたま診察してくれてたせんせーが手術もしてくれることになって、こころ強かったんですがですが。
このせんせーが、はじめよーと、もー切りながらか(いたくなかったからよくわかんなかったけど)
「この人はねー、イラスト描いてて、こーゆー体験を後でおもしろおかしく雑誌に描くんですよー」
って、他のせんせーに紹介してくれちゃって。ひー、せんせー、ここでゆーかー?どーして知ってるんだー?せんせーには言ってなかったのにー。普段の診察のあと、妊婦相談てのがあって、みょーに話のしやすい、聞かれてもいないのにペラペーラしゃべりたくなる助産婦さんがいて、話してしまったことがあったのね。それを、どっかに記録されてて、せんせーたちにも申し送りされてたのねー。
ひー、せんせーって、つっこみたかったですが、くちを聞けるほどではなく。あたまの中でぐるぐーる。
で、へその尾が2重にからまってた?らしーんだけど、無事におこさまも取り出され、ほーらねってみせてくれたりもしたあと、後始末しながら、せんせーたちってば、花見の相談はじめちゃったり。ひー。それくらい、せんせーたちにとっては、日常茶飯事なよくある手術だったのでございましょーが。
おなか開いて、さー閉じますよな前に、新米のせんせーに執刀のせんせーが、ほーら、ここがなんたらで、こっちがなんたらだって、解説なさってたり。ひー。せんせー、るじもみたかったです。おなかの中ー。
とゆーわけで、貴重な体験でございました。