入院


   

 入院中に展覧会の準備を始めた、って話のつづき。
 
 入院中、というのは、一日に1回とか2回とか、執刀医が様子を見に来てくれます。(だいたい足早にやってきてばたばた帰って行く、という・・・いつも忙しそうな感じでしたが)
 そのほかにも一定の回診があり、”乳腺外科ツアー”とあたしがこっそり呼んでいた、たくさんのお医者さんがぞろぞろ一緒にやって来るやつもあります。
 看護士さんたちも、血圧や熱をはかる、尿量の記録を取りに来る、クスリを渡してくれる、などなど、病室にはちょこちょこ常に”訪問者”があるわけです。
 お見舞いに来る人や家族を別にしても、”お客さん”ってわりと多いのね。

  
  画材一式とベニヤパネルなどなど、入院している病院に持ってきてちょうだい、とお願いした話のつづき。 
  ていねいにお願いした甲斐があって夫はすぐに持ってきてくれました。

 いつも使っている絵の具の箱ってのは、実はお菓子の空き缶とかだったりするんだけど、夫はそれを時々勝手に使ったりしているために(?)よく知っており、「どこにしまってあるの?」とかそういうことは全然ききませんでした。

 絵筆は洗ったやつが蛇口のそばにごちゃごちゃさしてあったんで、これも無差別にひっつかんできたらしい。ビンに入って箱に並べてあった下地剤なども無差別。
 無差別に持ってくるとかなりの重さです。

 この夏、8月下旬に『紙芝居展』という、ちょっと変わった展覧会に参加していました。
 それで、その準備がけっこう大変で。
 この夏暑いもんですから、汗だらだらでやっていたわけですが。

 あたしの本業は絵を描く人で、雑誌に文章を書いたりもします。
 職業柄、こうして時々グループ展に参加したり、たまーに個展をしたりするのは、いわば仕事の一部です。(全然儲からなかったとしても)
 画廊で自分の絵(今回はストーリーも含めて)を発表するわけですが、そこにクライアントにも来てもらったり、あるいは、来てもらえないまでも、「ちゃんとやってますよ」ってことをアピールするわけね。
 絵を描くこと自体、勉強になるし。人脈を広げたり強化したりする、ということもあります。

 このように展示をする意義は色々あるのですが、今回準備をしていて、入院中のことをまざまざと思い出しました
 1年半前、あの冬、あたしは入院中に、病院の個室でこれをやっておったのですよ!

 あたしは皮膚があまり強いほうではなく、なんにでもすぐにかぶれます。何かというと湿疹や蕁麻疹が出たりもします。

 手術の前に、色んな問診があり、その中に「かぶれやすいかどうか」を問う項目があったような気がします。
 
 その時「うわー、最近の病院って細かい気遣いをしてくれるんだなー」と感心しました。
 
 セカンドオピニオンをもらうために行った病院で、組織診断のために太い針を刺したあとも、ドクターは「かぶれるのを防ぐ」ためにと、皮膚にあらかじめスプレーを吹き付けてから絆創膏を貼ってくれました。

さて。手術の麻酔が覚めたあと。
 入院中の病人は、けっこう忙しいということがわかりました。

 おしっこをするたびにccを測って記録しないとならないし。飲んだ水分も記録しなきゃならないし。

 

 手術の様子を覚えていられたらなーっと思いますが、無理です。”経験”といったって、眠らされているんですから、何もわかんないんですね。

 目覚めたら、もうそこは自分の個室でした。
 そばには愛する夫が心配そうに・・・・ではなくて、彼はカメラを構えておりました。

 目をあけたら、その目の前にうちの古ーい(我が家は物持ちがとてもいいのです)、とっても見覚えのある、デジカメが構えられていたのです。

 「また、こいつは面白がって記録写真を撮っているな・・」と思ったとたん、「え?!」という大きな声がしました。
 

 さて。
 とうとう明日は手術だという前夜、12歳の娘に『キモイ』と言われて生き延びることを決意するほかにも、やることがありました。

 まず絶食。これは前の夜からでOKで、たいした絶食ではありませんが。6時間前からは水分も禁止されます。

 麻酔の影響で嘔吐が起きることがあり、気道が詰まったりすると命が危ないからでしょう。消化関連の臓器みたいに何日も絶食したり、浣腸をしたり、といったことは必要ありませんので、ぜんぜんらーくちんです。

 あたしの病室の窓からは向かいの聖路加タワーが見えました。日当たりもよかったように思います。

 あたしを送り届けた夫の感想は・・・「何もこんなにいい部屋でなくてもいいから、安くしてくれないかなあ」でした。
 まあ、本音ですね。
 
 でも、お金がかかるとか、そういうことはとりあえず置いておくとして、「なぜ個室なのか」というところには、おそらく病院の医療に対する哲学が現れているのじゃないかと思います。

 あたしの入院した病院;聖路加国際病院は基本的に全部が個室になっています。
 よく「ホテルみたいねー」と評される、施設の贅沢さでは他にはないような病院ですよね。(たくさんの病院を知っているわけではないですが)

 受付も建物の快適さも”ホテルみたい”ではありますが、そうじゃない特徴をさまざま持っています。

 まず、ドアにカギかかりません。大きな引き戸(ベッドの出し入れなどに便利)になっていて中の様子が覗けるように小さな窓が開いています。
 丸見えにならないようんにカーテンもついているけど、明かりがついているかどうかぐらいはわかるようになっています。

 乳ガンの手術を受けてから、ちょうど1年の月日が経ちました。
 そろそろ一年目の検査(その後”無事”なのかどうか見張るってやつですね)の日程が近づいています。
 その前に手術と入院がどんなだったか、ってのを書いてみます。

 1月24日【再建にこだわるあたし16】にも書いたようにあたしは手術は2回受けました。
 一度目は2004年の12月。二度目は2005年の1月末です。
 
 一度目の時、まず驚いたのが、その入院日程の短さです。

●あとからわかること・先にわかること

 長々と再建に至るまでのことを書いてきましたが、今までのことを整理しておきます。

①まず左胸にガンがみつかり、手術をすることになりました。しこりも2センチぐらいで上側で、表面に近いので、問題なく温存の適応と思われました

ところがMRIをもっときちんと撮って見たらしこりは3つもあって、ひとつは奥にあることが判明。
ボリュームの4分の1を切り取るというかなり厳しい温存条件に・・・。

③医師に説得される形で温存手術を選択。傷あとも仕上がりも条件の厳しさから考えると”上出来”の類と思われました。しかし、病理検査により、切り口にまだがん細胞があることが判明。

④医師は追加切除でそのまま温存できると判断しましたが、あたしは色々と迷った末に同時再建を決意。(その葛藤が今までの【再建にこだわるあたし】1から15までのエントリーに書いてあるわけです)

⑤2度目の入院と手術で乳房を全部摘出。同時に再建のためのエキスパンダーを入れてもらいました。

⑥8ヶ月後、エキスパンダーをシリコンバッグに入れ替える日帰り手術を受けました。帰りはふらふらだったけど、一応日帰りできて、たいした負担ではありませんでした。(お財布以外は・・・とほほ)

 入院についての詳しい話などはまた項をあらためて書くとします。入院は入院でまた色々笑っちゃうような体験がありましたので。

 今は再建を決意したがために「結局今どういうことになっているか」って話。

 前にも書きましたが、切り取った乳房を精密な病理検査にかけた結果、結局乳房の下側にもがん細胞が広がっていることがわかったのです。 

 ドクターは言いました。「これは、温存では救えない胸だったね」と。
 つまり、全摘して正解!だったわけです。

 結果的にね。
 この「結果的に」ってところが肝心です。
 だって、全摘しなかったかもしれないんだから。
 
 あたしの中の”ノーテンキ部門”は、「やっぱあたしって運がいいなあ。全摘にしといてよかった」と思うわけですが、”理屈っぽい部門”では「これ、もしも温存してたらどうなったんだ?」と考えずにはいられないわけですよ。

 がん細胞は広がっていたわけですが、それはマンモグラフィにも写らないし、もちろんしこりにもなっていません。
 ですから、乳首側を追加切除して、その断端にがん細胞がなかったら、一応「取りきれた」ということになって、放射線治療に入っていたかもしれません。
 その後抗がん剤。これで、微細ながん細胞を叩くわけです。

 とすると、乳房の下側にあった”しこり未満”のがん細胞は、消えていたかもしれません
 本人も医者もその存在を知らないうちに消えるということです。

 で。それがまるっきり「なかったことになる」のかどうか。
 
 なる人もいるのかもしれません。
 こういう仮定の話は医者としたことがないので、わかりませんが。

 あるいは、一旦抗がん剤でたたけても、何年かしたら再発したかもしれません。かなり広い範囲に広がっていましたから。

 その場合、どうでしょう?
 
 また手術です。今度は全摘でしょう。
 前の時に放射線を当てられてますから、皮膚は硬くてシリコン再建のオプションは無し、です。
 それじゃというので最低2週間はかかると言われる自家組織の再建を受けることになったかしら?

 それとも「もう切るのは嫌!」という理由でおっぱいの形は諦めてしまったかしら?
 その時あたしは何歳になっているかしら?
 年齢とおっぱいの再建にこだわる気持ちはは関係ないけど、「大きな手術は嫌だよー」という気持ちには関係あると思います。

 もうひとつ可能性があります。
 追加切除を受けて、温存をしたけれど、再び切り口にガンが残っていた場合です。

 原則としてガンが取りきれていなかったら放射線は使わない、と言っていましたから、その後もう一回切ることになる・・・・。

 さしものあたしも、短期間に3回も切ったら気持ちがへこんでしまうんじゃないかな、と想像します。
 悩んだ末に温存を決意した結果がそれなんじゃなおさらですわ。

 だけどこれらはみんな、「あり得た」シナリオ。
 乳ガンを診断された人全部に起こりえることです。
 あたしはたまたまおっぱいの美容にぐだぐだこだわったために、偶然その事態を避けられたってだけのこと。
 
 ほんと、あらかじめわかってたらいいのに!
 切ってからわかること、切らないとわからないことのために、患者は気持ちも経済も体力も翻弄されるのです。

 そのうち医療技術が進んで、きっと切る前にわかることはもっと増えるでしょう。どこまで切れば安全か、きっちりわかって、追加切除って言葉がなくなる日が来るでしょう。

 その日が一日でも早く来ますように! 

●全摘を決心

 で。形成での説明を聞いて後、あたしは全摘をしてもらって、同時にエキスパンダーを入れてもらう、という術式を選ぶことを決心するに至りました。

 メリットと デメリットをはかりにかけた結果です。

●再建への幻想 温存への幻想

 さて。ガンの取り残しがあって、再手術が必要なことが確実になったので、次の手術日を予約することになりました。
 すぐにはベッドがあきませんから、1ヶ月以上先になります。

 あたしはこの時点で、まだ本当に全摘に踏み切るのかどうか、はっきりと決心がついていませんでした。
 それは、主治医が「今の胸だって、再建と同じぐらいの出来だよ!」と言ったからです。

 そこまで言うか・・・と、あたしは絶句しました。
 再建で作られる胸は、”へたくそな美大生がうっかり描いたデッサンみたいな胸”以下?ってこと?同程度ってこと?
 この表現はまあ、あたし独自のものだけどさ、これより悪くなるとしたらわりに合わないでしょう。
 再建には100万円ぐらいはかかるのです。

●結局どうなったか

 結局あたしはチャートの中にピンク色の○が示されている、その順序をたどることになりました。

 最初の切除で、ガンの組織は全部取りきれていなかったのです
 あたしにとっては、再切除を受けることイコール、「全摘して再建する可能性を考える」ということでした。

 では最初の手術のあと、おっぱいはどんな状態だったか?