セカンドオピニオン
●全摘を決心
で。形成での説明を聞いて後、あたしは全摘をしてもらって、同時にエキスパンダーを入れてもらう、という術式を選ぶことを決心するに至りました。
メリットと デメリットをはかりにかけた結果です。
●お医者さんの腕
形成のドクターが見せてくれたさまざまな写真を見て、思ったことは、ドクターの腕のよしあしで患者の運命は全く変わる、へたくそな医者に当たると、なんだかすごく過酷になっちゃうんだな、ということでした。
乳ガンになっただけでも苦しいのに。
クリニックに再建の相談に来る人はさまざまなケースを抱えています。
写真資料の中には、温存とは名ばかりの、ひどいアンバランスな残し方をされてしまった人、それから再建を希望したけれど、エキスパンダーをへんな位置に入れられてしまった人、などのものが含まれていました。
彼女たちはその不満な状態から抜け出すために、このクリニックに来て、胸を作り直したのですね。
それぞれ、ずいぶんきれいに直されていました。
そういうケースを見たときのショックというのは、うまく言葉になりません。
●外科vs形成外科?
ナーバスになると、自分のナーバスさに自家中毒するというか、つるっと足をすくわれてあとはあっぷあっぷ溺れるみたいになります。
あたしはそれがとにかく嫌いなんですわ。
努めて「あたしは冷静なのよ。小学校の頃からよくそう言われるのよ」などとわけのわからない人の意見に頼って自分を立ち直らせようとします。
見かけはそんな風に見えなかったと思うけどね。
形成のドクターは女性です。
「女性だから話しやすい!」と自己暗示をかけてから、面談に臨みます。
「現時点では、全摘、再建をするか、温存のままいくか、はっきり決まっていないのですね?」と確認されます。
「はい。お話をきいてから、決めます」と答えます。
それから迷いの核心である”ぶっちゃけた話、美容的に考えてどっちがマシなのか”という話に入ります。
●はじめて形成のクリニックに行く
2度目の手術の方針を決めるため、形成のクリニックに行くことになった、という話のつづき。
ここでよーく相談して、もしもやっぱり再建のほうがいいってことになったら、エキスパンダーを病院に送ってもらったりとか、いろいろ手続きが生じるわけですね。
あたしの病院では、同時再建(乳房の切除と同時に再建のためのエキスパンダーを入れてもらう)の場合、それは形成医ではなく、乳腺外科の手でやってもらうことになります。
連携がなされていて、しかるのちに、形成医にバトンタッチされるのです。
告白しますが、ここであたしはまた、クリニックに予約を入れた日を忘れました。
●乳ガン仲間のありがたさ
全摘して再建するのか、このまま少しの追加切除を受けて温存した胸で暮らすのか、まだいまいち迷っているこの時期、あたしはwebで知り合った乳ガン仲間の人とお会いしました。
その人は同時再建手術を受けており、その鮮明な写真を、添付ファイルにして送ってくれたのです。
実際に再建した胸を見たら、SYNDIさんも決心がつくかもしれない、と言ってくれました。
彼女の胸は、温存では救えないことがはっきりしてたそうです。
●けっこう孤独なおっぱい
すぐに夫に病理検査の結果報告をしました。
残念ながら再手術決定、ということです。
形成の先生にも相談をしてから、全摘して再建するか、更なる追加切除をしても温存をして、放射線をかける道をとるか、決める、という話をしました。
「放射線をかけたらほんとにほんとに再建が無理なのかどうか、形成の先生にももう一度確かめてくるよ」
ほんとにもっとゆっくりと考えられれば一番いいのに、と思いながらあたしは言いました。
時は年末。次の手術は一月の終わり。手術日までの間にはお正月イベントがあるし、何かと気がまぎれるだろうな、という時期でした。
あたしは新しいセーターを買って着ていました。
比較的ぴったりしたセーターで、胸のラインが出る、みたいなのがあたしの好みです。
夫はふいにききました。
●再建への幻想 温存への幻想
さて。ガンの取り残しがあって、再手術が必要なことが確実になったので、次の手術日を予約することになりました。
すぐにはベッドがあきませんから、1ヶ月以上先になります。
あたしはこの時点で、まだ本当に全摘に踏み切るのかどうか、はっきりと決心がついていませんでした。
それは、主治医が「今の胸だって、再建と同じぐらいの出来だよ!」と言ったからです。
そこまで言うか・・・と、あたしは絶句しました。
再建で作られる胸は、”へたくそな美大生がうっかり描いたデッサンみたいな胸”以下?ってこと?同程度ってこと?
この表現はまあ、あたし独自のものだけどさ、これより悪くなるとしたらわりに合わないでしょう。
再建には100万円ぐらいはかかるのです。
●結局どうなったか
結局あたしはチャートの中にピンク色の○が示されている、その順序をたどることになりました。
最初の切除で、ガンの組織は全部取りきれていなかったのです。
あたしにとっては、再切除を受けることイコール、「全摘して再建する可能性を考える」ということでした。
では最初の手術のあと、おっぱいはどんな状態だったか?
●切ってみないとわからない
「切られてみなきゃわかんないじゃん」
突如としてあたしは思いました。
そしてすべてのことがこの、「そうなってみなければわからない」という事情によってややこしくなっていることに気がつきました。
そりゃそうでしょ。
たとえばだれかと結婚するとする。
その人は結婚後態度がころっとかわる”こんなはずでは 男”のたぐいかもしれない。
あるいは順調で金持ちのときはきは最高にいい夫だけど、挫折に弱いかもしれない。
ちょっと問題がある子供が生まれたらめそめそ男になってしまってはなはだ頼りないとか、失業して収入が下がったら愚痴愚痴男にへんしーん、などのことがあるかもしれない。
だけど問題のある子供が生まれるかどうかも含めて、人生何が起きるか、どんな事態においてその人がどんな力をもつか、持たないか、あらかじめわかることなんか、わずかです。
起きちゃったら、後戻りもやり直しもきかないのよ。
おっぱい事情もそれと同じ。
●しかしやっぱりいつでもできるわけじゃないのだった
「再建はいつでもできる」と信じたいのはやまやまなれど、医者が、それも自分の主治医がこれだけはっきり言っていることを無視して、信じたいように信じる・・・わけにはいかないよね。
そんなのってちょっと頭悪すぎだもんな、とあたしは思い、さらに人に聞いたり、本を調べたりしました。
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●「いつでもできる」の誘惑
つらつらぐるぐる考えている時に、メールで乳ガン関係の相談に乗ってくれるお医者さんをみつけました。
読み易い著書もある人だったので、ためしに再建のことも相談してみました。
すると、なんとそこには、放射線をかけたあとに、特に再建が難しくなるとは思わない、少なくとも自分の経験の範囲ではそのようなことはない、というお答えが書かれていました。
平たく言うと、あとから考え直せば、その時に再建できる!
万が一再発して再手術をした場合でも、その時に決心をすれば再建という選択肢がある!
ということになるではありませんか。
調べ物というのは、「ほんとにそうなの?」ということでした。
本当に、温存をしたら、もう「再建はあきらめなければならない」のかどうか。
2005年10月にガンだってことが確定して、12月には手術することになっていて、それまでの間に温存でいくのかどうか決心することになっていました。
それまでの間に、人に聞いたり、本を読んだりしました。
その時点で目を通した本には、放射線をかけた後の再建は「できなくなる」あるいは「大変むずかしくなる」と、はっきり書いてある本はみつかりませんでした。(もう少しあとで見つかったけど)
この胸のしこりは「確かに乳ガンです」という診断がつきました。
これで次のアクションが起こせます。
まず手術する病院の決定です。
セカンドオピニオンを下さったドクターは、「東京都内なら選択肢が色々ありますが・・・」とおっしゃいます。
彼の基準で、彼が知っている、信頼できる先生がいることがはっきりしている病院ということです。
「埼玉県だとどうですか?」
「お勧めできるのは2つか・・・うーん」
じゃ、都内だ。
病気はもうチャリンコ圏内のレベルじゃないってわかったから。電車乗って通います!電車乗るなら30分でも1時間でも同じようなものだ。
そういう気持ちになりました。
「都心の、どのあたりまでなら通えますか?」
「家から1時間ちょっとかければ銀座だろうが築地だろうが行けますよ」
「そこまで通えるのでしたら聖路加国際病院を勧めます。放射線科を含め、何もかも揃ったチームになっています」
それで病院は決まったんです。
ドクターは、自分の家族が乳ガンにかかってもそこを勧める、自分自身が乳ガンになったとしても(男の人でもたまにあるそうで)そこにしたい、とまで言ったのです。
「あー、だけど病院の決定については親族や友人で、何か意見する人はいるだろうな」とあたしは思いました。
この辺の、病人の周囲の人間が持ってくる話の影響については、また改めて書きますが・・・。
病気の経験者は、みんな「いい医者をみつけないといけない。相性も大事です」と口をそろえます。
あたしもそう思います。
だけど相性には実にいろんなものが介在します。病気の重さや難しさもからんでくるでしょう。
”いい医療”というものの総体は複雑です。
【診断がつく】の項で述べたようなことを考えると、あたしは自分の運のよさに感謝せずにはいられません。
一週間後、診断結果を聞きに行きました。
で。ここでガンだということが、はっきりわかったのです。
もうだいたいそうだろうな、と思っていたので「うー、やっぱりそうか。残念だ」というほどの感慨でありました。
硬ガンという、かなりありふれたガンで、大小ふたつのしこりは、全く同じもの。”娘細胞”というんだそうです。
親子だったのね。息子じゃなくて娘っていうのか。何で女なんだ・・・、おっぱいだから?
その病院には定期健診に来ている人や、わたしのようにセカンドオピニオンをもらいに来ている人がたくさんいるようでした。
施設は新しくて、すべてがぴかぴかして見えました。
あたしはその日最後の患者でした。
おそらく、お友達のお友達ってことで、そのドクターは時間を少し余計にかけても大丈夫なように、最後にしてくれていたのだと思います。
ありがたい話です。
ドクターは若くて、熱心さが肩のあたりからもあーっと立ち上っているような感じでした。
親切で暖かい性格であることがひと目でわかりました。
”友達の友達”であることから、少し世話話をしましたが、日本語がきちんと通じたので(通じない医者もいますんで)あたしはそれだけでもとても安心しました。
乳ガン関係の本を開くと、「乳ガンは通常とてもゆっくりと進行する」という事が書いてあります。(例外もあり!ですが)
あたしのしこりは2センチに満たないものでしたが、そこまでになるのに10年はかかっているはず、とも言われました。
ええええ?そんなに長く体の中にあったのか、知らなかった、の世界です。
友人が紹介してくれた乳腺の医師がお勤めの病院は、千葉にありました。
こちらは埼玉ですので、ちと遠い。
たぶん通う事はできないね、と家族と話し合いました。
だけど、どこか通える範囲のいい病院を紹介してもらうにしても、この医師に会いに行って、診断をつけてもらうことは意義があるように思えました。
友人に書き送ったメール報告はその医師のところに転送されており、それに対する返信ももらっていました。
そこには、今現在の乳ガン医療事情の問題と、それに対する憤りが書かれあったのです。
文面から正義感があふれ出ているような感じでした。
弟が、「なかなか熱い人だね。ここまで言うなら信用できるだろう」と言いました。
「電車で行ける範囲なんだから、多少遠くても行って来たら?」と夫も言いました。
予約を入れたら、数日後。
ええ?まだ紹介状をもらってないぞ。
検査結果を待つまでの間、あたしは友人の小児科医にくわしいメールを書き送っていました。検査結果についても、言われたことなどなるべく正確に書いて送りました。
その他も2、3、医学に携わるお知り合いに声をかけていましたが、一番”あてにして”いたのは、この友人です。
あたしが彼に相談したのは、この人とのお付き合いが長くて、あたしの性格をよく知ってくれていることと、友人として立場が対等で、その人柄を心から信頼しているからです。

