告知
●あとからわかること・先にわかること
長々と再建に至るまでのことを書いてきましたが、今までのことを整理しておきます。
①まず左胸にガンがみつかり、手術をすることになりました。しこりも2センチぐらいで上側で、表面に近いので、問題なく温存の適応と思われました。
②ところがMRIをもっときちんと撮って見たらしこりは3つもあって、ひとつは奥にあることが判明。
ボリュームの4分の1を切り取るというかなり厳しい温存条件に・・・。
③医師に説得される形で温存手術を選択。傷あとも仕上がりも条件の厳しさから考えると”上出来”の類と思われました。しかし、病理検査により、切り口にまだがん細胞があることが判明。
④医師は追加切除でそのまま温存できると判断しましたが、あたしは色々と迷った末に同時再建を決意。(その葛藤が今までの【再建にこだわるあたし】1から15までのエントリーに書いてあるわけです)
⑤2度目の入院と手術で乳房を全部摘出。同時に再建のためのエキスパンダーを入れてもらいました。
⑥8ヶ月後、エキスパンダーをシリコンバッグに入れ替える日帰り手術を受けました。帰りはふらふらだったけど、一応日帰りできて、たいした負担ではありませんでした。(お財布以外は・・・とほほ)
入院についての詳しい話などはまた項をあらためて書くとします。入院は入院でまた色々笑っちゃうような体験がありましたので。
今は再建を決意したがために「結局今どういうことになっているか」って話。
前にも書きましたが、切り取った乳房を精密な病理検査にかけた結果、結局乳房の下側にもがん細胞が広がっていることがわかったのです。
ドクターは言いました。「これは、温存では救えない胸だったね」と。
つまり、全摘して正解!だったわけです。
結果的にね。
この「結果的に」ってところが肝心です。
だって、全摘しなかったかもしれないんだから。
あたしの中の”ノーテンキ部門”は、「やっぱあたしって運がいいなあ。全摘にしといてよかった」と思うわけですが、”理屈っぽい部門”では「これ、もしも温存してたらどうなったんだ?」と考えずにはいられないわけですよ。
がん細胞は広がっていたわけですが、それはマンモグラフィにも写らないし、もちろんしこりにもなっていません。
ですから、乳首側を追加切除して、その断端にがん細胞がなかったら、一応「取りきれた」ということになって、放射線治療に入っていたかもしれません。
その後抗がん剤。これで、微細ながん細胞を叩くわけです。
とすると、乳房の下側にあった”しこり未満”のがん細胞は、消えていたかもしれません。
本人も医者もその存在を知らないうちに消えるということです。
で。それがまるっきり「なかったことになる」のかどうか。
なる人もいるのかもしれません。
こういう仮定の話は医者としたことがないので、わかりませんが。
あるいは、一旦抗がん剤でたたけても、何年かしたら再発したかもしれません。かなり広い範囲に広がっていましたから。
その場合、どうでしょう?
また手術です。今度は全摘でしょう。
前の時に放射線を当てられてますから、皮膚は硬くてシリコン再建のオプションは無し、です。
それじゃというので最低2週間はかかると言われる自家組織の再建を受けることになったかしら?
それとも「もう切るのは嫌!」という理由でおっぱいの形は諦めてしまったかしら?
その時あたしは何歳になっているかしら?
年齢とおっぱいの再建にこだわる気持ちはは関係ないけど、「大きな手術は嫌だよー」という気持ちには関係あると思います。
もうひとつ可能性があります。
追加切除を受けて、温存をしたけれど、再び切り口にガンが残っていた場合です。
原則としてガンが取りきれていなかったら放射線は使わない、と言っていましたから、その後もう一回切ることになる・・・・。
さしものあたしも、短期間に3回も切ったら気持ちがへこんでしまうんじゃないかな、と想像します。
悩んだ末に温存を決意した結果がそれなんじゃなおさらですわ。
だけどこれらはみんな、「あり得た」シナリオ。
乳ガンを診断された人全部に起こりえることです。
あたしはたまたまおっぱいの美容にぐだぐだこだわったために、偶然その事態を避けられたってだけのこと。
ほんと、あらかじめわかってたらいいのに!
切ってからわかること、切らないとわからないことのために、患者は気持ちも経済も体力も翻弄されるのです。
そのうち医療技術が進んで、きっと切る前にわかることはもっと増えるでしょう。どこまで切れば安全か、きっちりわかって、追加切除って言葉がなくなる日が来るでしょう。
その日が一日でも早く来ますように!
●「いつでもできる」の誘惑
つらつらぐるぐる考えている時に、メールで乳ガン関係の相談に乗ってくれるお医者さんをみつけました。
読み易い著書もある人だったので、ためしに再建のことも相談してみました。
すると、なんとそこには、放射線をかけたあとに、特に再建が難しくなるとは思わない、少なくとも自分の経験の範囲ではそのようなことはない、というお答えが書かれていました。
平たく言うと、あとから考え直せば、その時に再建できる!
万が一再発して再手術をした場合でも、その時に決心をすれば再建という選択肢がある!
ということになるではありませんか。
調べ物というのは、「ほんとにそうなの?」ということでした。
本当に、温存をしたら、もう「再建はあきらめなければならない」のかどうか。
2005年10月にガンだってことが確定して、12月には手術することになっていて、それまでの間に温存でいくのかどうか決心することになっていました。
それまでの間に、人に聞いたり、本を読んだりしました。
その時点で目を通した本には、放射線をかけた後の再建は「できなくなる」あるいは「大変むずかしくなる」と、はっきり書いてある本はみつかりませんでした。(もう少しあとで見つかったけど)
●放射線が再建を難しくする?
10月25日のエントリーのつづき。(間があいてしまいました)
さて。乳房の一部切除(温存)と全摘出&再建とを比べた場合、どちらがより自分の希望に沿った結果になるのか、というのは、そうは簡単なことではないな、と思いましたっていう話でしたね。
美容は主観も入るし、再発その他に関わる運も、医者の腕も、その後の自分の心の成り行きにも影響されるから、「希望に添った結果」は簡単には見えてこないのです。
簡単なことではないのですが、実は考える時間はあまりありませんでした。
今考えないとならない、告知を受けて、最初の手術を受けるその時点で、自分がどのように考え、感じる人間かを、ある程度わかっていないとならなかったのです。
あたしが乳房再建に「こだわることにしようっと」と決めたいきさつについて、書くことにします。
それは、そもそも左胸にガンがあると告知され、それはまだ「2センチ程度の初期ガンである」し、「そのすぐ隣にある娘細胞も小さい」から、「当然温存手術が可能です」と言われた時点で始まりました。
「温存」という言葉の響きは、いかにもおだやかです。
悪いところだけ切り取って、あとは自分の胸のふくらみをそのまま残す、という、手術のテクニックは、「患者の満足度も高い」ということになっています。
この胸のしこりは「確かに乳ガンです」という診断がつきました。
これで次のアクションが起こせます。
まず手術する病院の決定です。
セカンドオピニオンを下さったドクターは、「東京都内なら選択肢が色々ありますが・・・」とおっしゃいます。
彼の基準で、彼が知っている、信頼できる先生がいることがはっきりしている病院ということです。
「埼玉県だとどうですか?」
「お勧めできるのは2つか・・・うーん」
じゃ、都内だ。
病気はもうチャリンコ圏内のレベルじゃないってわかったから。電車乗って通います!電車乗るなら30分でも1時間でも同じようなものだ。
そういう気持ちになりました。
「都心の、どのあたりまでなら通えますか?」
「家から1時間ちょっとかければ銀座だろうが築地だろうが行けますよ」
「そこまで通えるのでしたら聖路加国際病院を勧めます。放射線科を含め、何もかも揃ったチームになっています」
それで病院は決まったんです。
ドクターは、自分の家族が乳ガンにかかってもそこを勧める、自分自身が乳ガンになったとしても(男の人でもたまにあるそうで)そこにしたい、とまで言ったのです。
「あー、だけど病院の決定については親族や友人で、何か意見する人はいるだろうな」とあたしは思いました。
この辺の、病人の周囲の人間が持ってくる話の影響については、また改めて書きますが・・・。
病気の経験者は、みんな「いい医者をみつけないといけない。相性も大事です」と口をそろえます。
あたしもそう思います。
だけど相性には実にいろんなものが介在します。病気の重さや難しさもからんでくるでしょう。
”いい医療”というものの総体は複雑です。
【診断がつく】の項で述べたようなことを考えると、あたしは自分の運のよさに感謝せずにはいられません。
一週間後、診断結果を聞きに行きました。
で。ここでガンだということが、はっきりわかったのです。
もうだいたいそうだろうな、と思っていたので「うー、やっぱりそうか。残念だ」というほどの感慨でありました。
硬ガンという、かなりありふれたガンで、大小ふたつのしこりは、全く同じもの。”娘細胞”というんだそうです。
親子だったのね。息子じゃなくて娘っていうのか。何で女なんだ・・・、おっぱいだから?
乳ガン関係の本を開くと、「乳ガンは通常とてもゆっくりと進行する」という事が書いてあります。(例外もあり!ですが)
あたしのしこりは2センチに満たないものでしたが、そこまでになるのに10年はかかっているはず、とも言われました。
ええええ?そんなに長く体の中にあったのか、知らなかった、の世界です。
友人が紹介してくれた乳腺の医師がお勤めの病院は、千葉にありました。
こちらは埼玉ですので、ちと遠い。
たぶん通う事はできないね、と家族と話し合いました。
だけど、どこか通える範囲のいい病院を紹介してもらうにしても、この医師に会いに行って、診断をつけてもらうことは意義があるように思えました。
友人に書き送ったメール報告はその医師のところに転送されており、それに対する返信ももらっていました。
そこには、今現在の乳ガン医療事情の問題と、それに対する憤りが書かれあったのです。
文面から正義感があふれ出ているような感じでした。
弟が、「なかなか熱い人だね。ここまで言うなら信用できるだろう」と言いました。
「電車で行ける範囲なんだから、多少遠くても行って来たら?」と夫も言いました。
予約を入れたら、数日後。
ええ?まだ紹介状をもらってないぞ。
検査結果を待つまでの間、あたしは友人の小児科医にくわしいメールを書き送っていました。検査結果についても、言われたことなどなるべく正確に書いて送りました。
その他も2、3、医学に携わるお知り合いに声をかけていましたが、一番”あてにして”いたのは、この友人です。
あたしが彼に相談したのは、この人とのお付き合いが長くて、あたしの性格をよく知ってくれていることと、友人として立場が対等で、その人柄を心から信頼しているからです。
結局あたしはMRIの検査結果を聞いたその日のうちに細胞とやらの検体を取ってもらって、その結果を一週間後に聞きに行くまでの間に、医者をしている友人などに連絡を取って、どのように動くべきか作戦を立てることにしました。
で。
細胞を取る、というのはどういう事をするのかというと、なにやら銃みたいな引き金が付いてる器具で、しこりのあたりを狙ってぷすっと刺して引き金を引くと、器具の方へと”中身”が吸い込まれてゆく、という仕掛けのものであるようでした。
胸のしこりが見つかって、こりゃなんかでかいし、やな感じ、と思ったあと、とりあえず近所の、自転車でいける総合病院に行きました。
初診受付で「乳房にしこりがある」と言ったら、『外科』です、といわれました。この病院には『乳腺科』はなかったのです。
その場合は外科が担当になります。
ここで一通りの検査をしました。
マンモグラフィと超音波。
たいして待たされることもありませんでした。
病院は混んでいましたが、予約で1ヶ月待ち、などの極端なことはなかったという意味です。
画像で”あやしい”(要するに良くない感じのものが見える)というので、数日後にMRIの予約も入れました。
さらに1週間後、MRIの画像診断の結果、しこりの輪郭がぎざぎざしている(これもガンらしさのひとつ)と言われ、この時点で、あたしは「もうこの病院じゃないところでちゃんと診てもらおう」と決心しました。