乳ガン
”バッグくるりん手術”(前のエントリー『くるりん手術報告』参照)のあと、ドクターから新しい注意事項を説明された話のつづき。
あたしはバッグが動いた”前科”があるから、手術側の腕をなるべく上げないように、ということでした。
「それでは、左腕は肩から上には上げないようにするんですね」あたしはききました。
「そうです。1ヶ月は気をつけてもらいませんと。1ヶ月すればおちついて、動きにくくなります」
え?え?1ヶ月?・・・・ということは、抜糸後も3週間は左腕上げちゃいけないってこと?
長い!
「日常生活でも、洗濯ものをこう、両腕を上げて干したりとか、そういう動作はなるべくしないでください」
乳ガンの手術を受けてから、ちょうど1年の月日が経ちました。
そろそろ一年目の検査(その後”無事”なのかどうか見張るってやつですね)の日程が近づいています。
その前に手術と入院がどんなだったか、ってのを書いてみます。
1月24日【再建にこだわるあたし16】にも書いたようにあたしは手術は2回受けました。
一度目は2004年の12月。二度目は2005年の1月末です。
一度目の時、まず驚いたのが、その入院日程の短さです。
2005年の9月、しこりがガンであることがわかって、検査やら治療やらで、病院に行く事が生活の中に入り込みました。
当然その分忙しくなります。
手帳のスケジュール欄が、色とりどりになります。
ところがですね。
手帳にきちんとつけていて、カレンダーにも書き込みをしていますのに、あたしは医者に行くのをころりと忘れていたことがあります。それも複数回。
この胸のしこりは「確かに乳ガンです」という診断がつきました。
これで次のアクションが起こせます。
まず手術する病院の決定です。
セカンドオピニオンを下さったドクターは、「東京都内なら選択肢が色々ありますが・・・」とおっしゃいます。
彼の基準で、彼が知っている、信頼できる先生がいることがはっきりしている病院ということです。
「埼玉県だとどうですか?」
「お勧めできるのは2つか・・・うーん」
じゃ、都内だ。
病気はもうチャリンコ圏内のレベルじゃないってわかったから。電車乗って通います!電車乗るなら30分でも1時間でも同じようなものだ。
そういう気持ちになりました。
「都心の、どのあたりまでなら通えますか?」
「家から1時間ちょっとかければ銀座だろうが築地だろうが行けますよ」
「そこまで通えるのでしたら聖路加国際病院を勧めます。放射線科を含め、何もかも揃ったチームになっています」
それで病院は決まったんです。
ドクターは、自分の家族が乳ガンにかかってもそこを勧める、自分自身が乳ガンになったとしても(男の人でもたまにあるそうで)そこにしたい、とまで言ったのです。
「あー、だけど病院の決定については親族や友人で、何か意見する人はいるだろうな」とあたしは思いました。
この辺の、病人の周囲の人間が持ってくる話の影響については、また改めて書きますが・・・。
病気の経験者は、みんな「いい医者をみつけないといけない。相性も大事です」と口をそろえます。
あたしもそう思います。
だけど相性には実にいろんなものが介在します。病気の重さや難しさもからんでくるでしょう。
”いい医療”というものの総体は複雑です。
【診断がつく】の項で述べたようなことを考えると、あたしは自分の運のよさに感謝せずにはいられません。
一週間後、診断結果を聞きに行きました。
で。ここでガンだということが、はっきりわかったのです。
もうだいたいそうだろうな、と思っていたので「うー、やっぱりそうか。残念だ」というほどの感慨でありました。
硬ガンという、かなりありふれたガンで、大小ふたつのしこりは、全く同じもの。”娘細胞”というんだそうです。
親子だったのね。息子じゃなくて娘っていうのか。何で女なんだ・・・、おっぱいだから?
その病院には定期健診に来ている人や、わたしのようにセカンドオピニオンをもらいに来ている人がたくさんいるようでした。
施設は新しくて、すべてがぴかぴかして見えました。
あたしはその日最後の患者でした。
おそらく、お友達のお友達ってことで、そのドクターは時間を少し余計にかけても大丈夫なように、最後にしてくれていたのだと思います。
ありがたい話です。
ドクターは若くて、熱心さが肩のあたりからもあーっと立ち上っているような感じでした。
親切で暖かい性格であることがひと目でわかりました。
”友達の友達”であることから、少し世話話をしましたが、日本語がきちんと通じたので(通じない医者もいますんで)あたしはそれだけでもとても安心しました。
乳ガン関係の本を開くと、「乳ガンは通常とてもゆっくりと進行する」という事が書いてあります。(例外もあり!ですが)
あたしのしこりは2センチに満たないものでしたが、そこまでになるのに10年はかかっているはず、とも言われました。
ええええ?そんなに長く体の中にあったのか、知らなかった、の世界です。
友人が紹介してくれた乳腺の医師がお勤めの病院は、千葉にありました。
こちらは埼玉ですので、ちと遠い。
たぶん通う事はできないね、と家族と話し合いました。
だけど、どこか通える範囲のいい病院を紹介してもらうにしても、この医師に会いに行って、診断をつけてもらうことは意義があるように思えました。
友人に書き送ったメール報告はその医師のところに転送されており、それに対する返信ももらっていました。
そこには、今現在の乳ガン医療事情の問題と、それに対する憤りが書かれあったのです。
文面から正義感があふれ出ているような感じでした。
弟が、「なかなか熱い人だね。ここまで言うなら信用できるだろう」と言いました。
「電車で行ける範囲なんだから、多少遠くても行って来たら?」と夫も言いました。
予約を入れたら、数日後。
ええ?まだ紹介状をもらってないぞ。
検査結果を待つまでの間、あたしは友人の小児科医にくわしいメールを書き送っていました。検査結果についても、言われたことなどなるべく正確に書いて送りました。
その他も2、3、医学に携わるお知り合いに声をかけていましたが、一番”あてにして”いたのは、この友人です。
あたしが彼に相談したのは、この人とのお付き合いが長くて、あたしの性格をよく知ってくれていることと、友人として立場が対等で、その人柄を心から信頼しているからです。
結局あたしはMRIの検査結果を聞いたその日のうちに細胞とやらの検体を取ってもらって、その結果を一週間後に聞きに行くまでの間に、医者をしている友人などに連絡を取って、どのように動くべきか作戦を立てることにしました。
で。
細胞を取る、というのはどういう事をするのかというと、なにやら銃みたいな引き金が付いてる器具で、しこりのあたりを狙ってぷすっと刺して引き金を引くと、器具の方へと”中身”が吸い込まれてゆく、という仕掛けのものであるようでした。
胸のしこりが見つかって、こりゃなんかでかいし、やな感じ、と思ったあと、とりあえず近所の、自転車でいける総合病院に行きました。
初診受付で「乳房にしこりがある」と言ったら、『外科』です、といわれました。この病院には『乳腺科』はなかったのです。
その場合は外科が担当になります。
ここで一通りの検査をしました。
マンモグラフィと超音波。
たいして待たされることもありませんでした。
病院は混んでいましたが、予約で1ヶ月待ち、などの極端なことはなかったという意味です。
画像で”あやしい”(要するに良くない感じのものが見える)というので、数日後にMRIの予約も入れました。
さらに1週間後、MRIの画像診断の結果、しこりの輪郭がぎざぎざしている(これもガンらしさのひとつ)と言われ、この時点で、あたしは「もうこの病院じゃないところでちゃんと診てもらおう」と決心しました。
この病気の話をしますと、色々と質問をされます。
その中で一番多い質問は何だと思いますか?
「自分でみつけたの?」
「どうやって発見したの?」
「定期健診していたの?」
要するに発見に関する質問なんです。
これは本当によく聞かれます。

